2021/05/10
こんにちは、カナリヤです。
掲載が遅れてしまい、申し訳ありません。
今回も、前回と同様、私のコメントのみ掲載させて頂きます。
今週の金曜日に、施設で仲良くなった女の子達と会話をしていると、その中のある女の子が、「来週も頑張って施設に来るね」と言いました。
その言葉に私は引っかかるものがありました。
それは、”頑張って”と言う言葉です。
この言葉は、たとえば、”部活の練習を頑張る”など、色々な場面で使うと思います。
ですが、この女の子の場合の”頑張る”は、とても重いものだと私は思います。
いいえ、思うだけでなく、私はそれを経験しました。
“頑張って学校に行こう”と、自分を奮い立たせるために使える言葉。
ですが、私にとってその言葉は、無理をし、自分自身を苦しめる言葉でした。
自分で思えば思うほど、”頑張る”の重みが増しました。
そのため私は、”頑張って来る”と言ったその女の子は、無理をして施設に通っていると、とらえました。
もちろん、その女の子も学校に何かあるからこそ、施設に通っていて、その施設にも”嫌だ”と言う感情を抱くのは、おかしいことでは無いと思います。
ですが、”無理をする”と言うのは、たとえですが、”階段を3段とばしで登る”と言うのをするぐらい辛いことだと私は思っています。
階段を3段とばしで登ったら、上手くいく時もあると思いますが、怪我をする恐れもあります。
ですが反対に、”階段を1段ずつ登る”だったら、時間はかかりますが、怪我をする恐れはありません。
たとえですが、”階段を3段とばしで登る”のか、”階段を1段ずつ登る”のかを選ぶのは人それぞれです。
“誰かがそっちを選んだから私もそっちを選ばないといけない”、そんな事はありません。
もちろん、人に合わせる時もあると思います。
ですが、自分の選んだ道を、自分のペースで進むことも大切だと思います。
私はこれからも、自分の選んだ道を、自分のペースで生きていきます。
最後に、ここまで読んで頂きありがとうございました。
長文、失礼致しました。