2021/11/15
こんにちは、カナリヤです。
掲載が遅れてしまい申し訳ありません。
今回も、前回と同様、私のコメントのみ掲載させて頂きます。
今月の上旬、私が──私の家がまりあーじゅさんに出会って丁度2年が経ちました。
もう2年。まだ2年。
この2年の中で変わったこともたくさんあります。
ですが、変わってないこともあります。
それは、現在進行形で続いている自分自身の改善です。
施設で学び、家で学び、時にはお母さんと会話をして自分を整理をしたりしています。
きっと、これに終わりは永遠に無く、何年も何十年も続くものだと私は思っています。
そっとやちょっとでは全てを変えることは難しいです。
“それでも、私は早く自分の理想に近づきたい!”。
そう思う人もいると思います。
もちろん、私にも理想の自分がいます。
ですが、その理想の自分を追いかけたび、”理想の自分が遠い”、”どうやったら理想の自分になれるんだろう”。
そう思っていました。
もしかしたら、私の他にもそう思う方がいるのではないでしょうか。
ですが、先程も書いた通り、そっとやちょっとでは理想の自分になるのは困難だと私は思います。
これは、例えばの話ですが、私は自分自身の改善を、”丸く水晶玉のように透明で透き通っている球体が魂で、その魂が何らかの原因でよごれてしまったのを心の布巾で磨くこと”だと思っています。
これだけを聞いたら簡単だと思う方もいると思います。
ですが、私は魂には外側だけでなく、内側にもよごれがあるのだと考えています。
魂の外側のよごれは布巾で磨けば簡単に落ちます。
そのため、魂の外側のよごれは”見せかけの潜在意識”だと思います。
ですが、魂の内側のよごれは布巾で磨くだけでは落ちません。
ゆっくり、時間をかけて、浄化していくものだと思います。
そのため、魂の内側のよごれは”根本の潜在意識”だと思います。
それを、自分という心の布巾で何回も何回も磨いて、見せかけの潜在意識を拭き、根本の潜在意識を抜き取っていくのだと思います。
そのため、私は自分自身を改善することは困難ではあると思います。
ですが、困難であるからこそ、理想の自分に近づけるのだの思います。
焦らず、ゆっくり時間をかけるからこそ、確実に一歩一歩前に進んでいくのだと思います。
そして、それらの時間に比例して自分自身の魂は綺麗になっていくのだと考えます。
では、魂を磨いてよごれた布巾はどうなるのか。
それは、きっと自分のどこかにあると思います。
ですが、よごれた布巾は決して汚いものではありません。
今までの自分は決して悪いことではありません。
その布巾は、その自分は、今まで経験してきた勲章です。
その布巾で、その自分で、生きてきた証です。
そのため、その布巾も自分の一員であると私は思っています。
まだ、まりあーじゅさんに出会って2年。
もう、まりあーじゅさんに出会って2年。
これからも、私は学びを深めていきたいと思います。
最後に、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
少しでも、読んで下さった方々の力になれれば光栄です。
長文、失礼致しました。