2022/08/23
こんにちは、カナリヤです。
私のコメントを掲載させて頂きます。
突然なのですが、私の心には、何年も前から黒いもやがいます。
それは、目に見えるわけではありません。
心がもやもやして、スッキリしないと言った、心理的なものです。
ただ、私にとってのその黒いもやは、決して軽いものではありません。
また、そのもやは時には大きく、時には小さくなります。
そのため、私はそのもやを”もやもや”と呼んでいます。
いつから、もやもやが居たかは私も覚えていません。
ただ、小学5年の時には確実にもやもやが存在していたことは覚えています。
学校のことを考える度に、もやもやが出てきて、学校に行く度に、そのもやもやが最大限に大きくなっていた気がします。
そして、そのもやもやは今も私の心の中にいます。
もう、もやもやが私の心に存在して、6年が経ちます。
今までは、もやもやがいる日といない日があったのですが、去年の12月からは、もやもやが毎日私の心にいます。
私は、もやもやがいると、もやもやに心を乗っ取られたようになります。
そのため、何を言われても返事をしたくないと思ってしまいます。
また、思考はネガティブになり、負の連鎖を起こしてしまいます。
しかし、高校に入学してから少し経ったある日。
6月の下旬くらいでしょうか。
もやもやは自分なのだと、もやもやの正体に気づき始めました。
しかし、最初は具体的な内容が分かりませんでした。
また、私はもやもやの正体を認めたくなくて、もやもやから目を背けていました。
ですが、それから徐々に、もやもやが自分だという事の具体的な内容などに気づいていき、つい先日にもやもやと向き合うことが出来ました。
もやもやは、私が不安な時、心配な時、寂しい時、孤独な時に出てくるのだと思います。
だからこそ、もやもやがいるとネガティブになったり、暗くなったりするのだと思います。
きっと、小学生の時には、もやもやが出てくる理由に”学校”も入っていたのだと思います。
しかし、今は学校に毎日登校できているので、もやもやに学校は入っていません。
そのため、言い換えれば、もやもやは私のSOSだったのかもしれません。
だからこそ、私にはもやもやを手放すという考えがありませんでした。
“もやもやを手放してしまえば、私はネガティブにもならないし、暗くもならない”。
“そうしたら、誰も私を見てくれないんじゃないか”。
“また、寂しい思いをするんじゃないか”。
そう、私は思ってしまいました。
そのため、私は今までで一度も、”もやもやを解決したい”とは言いませんでした。
何回か、母に「もやもやを解決したくないの?」の聞かれたことはありました。
しかし、私はその質問に「解決したい」とは言えませんでした。
また、たとえ”解決する!”と言っても、次の日にはその意思が弱くなってるかもしれないと考え、私はその言葉を避けていました。
自分で言った言葉の責任から目を背けていました。
自分のことですが、なんて腹黒いんだろうと思います。
ですが、先日にもやもやと向き合った時。
“今、ここで解決するって決めなかったら、いつもやもやと向き合えるんだろう”。
“今、ここで自分の言葉の責任に押しつぶされたら、いつもやもやを解決するって決められるんだろう”。
そう思いました。
もやもやは自分のことで、私が不安な時、心配な時、寂しい時、孤独な時に出てくると気づけて、2ヶ月くらいその真実から目を背けていたと分かったのに、このチャンスを逃がしたらどうするのかと思いました。
“これから先ずっともやもやを抱えていくのか?”と思いました。
だからこそ、私は魔法の言葉を決めました。
それは、
“大丈夫!”
“出来る!”
“やってみよう!”
“楽しみもう!”
“感謝だね!”
この5つの言葉です。
もやもやが物事をマイナスに考えるんだったら、物事を全てプラスに考えようと考えました。
そうすれば、それがいつか習慣になり、自分の性格に繋がります。
決心が揺らぐことの無いよう、このことは直ぐに母に伝えました。
まだ、もやもやとは向き合ったばかりです。
しかし、この1歩をきっかけに、どんどん自分の良い所を伸ばして、前進していきたいと思います。
そして、あの5つの言葉を習得し、ポジティブに、明るく過ごしていきたいです。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
少しでも、読んで頂いた方の力になれれば幸いです。
長文、失礼致しました。